ビールの苦味はイソα酸(iso alpha acids)というホップ由来の成分によるものなのですが、もちろんイソα酸だけではありません。
α酸とβ酸の化学変化について詳しくみていきましょう。
目次
ホップの成分については以前に書きましたが、毬花にあるルプリンと呼ばれる黄色い樹脂成分に含まれているα酸(アルファ酸)やβ酸(ベータ酸)がビールの苦味に関する特徴的な成分です。
α酸(alpha acids)
α酸は水に溶けにくいため苦味を感じることはありません。どちらかとえば灰汁として感じる独特のエグ味があります。
構造式にあるR部分の構造の違いによって、それぞれをコフムロン(Cohumulone)、フムロン(humulone)、アドフムロン(Adhumulone)と呼びます。
微量ですが、ポストフムロン(Posthumulone)、プレフムロン(Prehumulone)も存在します。
コフムロン | C20H28O5 | R=CH(CH3)2 |
フムロン | C21H30O5 | R=CH2CH(CH3)2 |
アドフムロン | C21H30O5 | R=CH(CH3)CH2CH3 |
ポストフムロン | C19H26O5 | R=CH2CH3 |
プレフムロン | C22H32O5 | R=(CH2)2CH(CH3)2 |
ホップの種類によって大きく異なりますが、コフムロンが20〜50%、フムロンが20〜50%、アドフムロンが10〜15%含まれます。
もちろん植物が作り出すものなので、同じ品種であっても栽培する地域や天候、収穫時期によっても変わります。
イソα酸(iso alpha acids)
麦汁にホップを加えて加熱すると、ルプリンに含まれるα酸は異性化(isomerization)し、水に溶けやすいイソα酸(iso alpha acids)に変化します。
異性化とは、原子の組成は変わらず、並び方が異なる物質に変わることを意味します。
フムロン(humulone)も異性化したイソフムロン(isohumulone)も化学式で表現すると、C21H30O5(炭素原子21個、水素原子30個、酸素原子5個で構成)になります。
α酸を異性化するためには煮沸時間を長くする必要がありますが、ペレットホップでも最大40%程度しか異性化しません。そこで、ペレットホップに酸化マグネシウム(MgO)を加え50℃で10日間保存することにより、α酸を予め異性化させたペレットホップも存在し、それを使用することで60%程度まで利用率を上げることができます。
苦味受容体
ヒトの舌には苦味を感じる受容体が25種類あります。これらの苦味受容体を総称してT2Rs(taste receptor type 2 members)と呼びます。
ちなみに、甘味はT1R2(taste receptor type 1 members 2)とT1R3(taste receptor type 1 members 3)という2つの受容体で識別され、うま味はT1R1(taste receptor type 1 members 1)とT1R3(taste receptor type 1 members 3)で識別されます。
栄養源を識別するT1Rファミリーと、有害な苦味を識別するT2Rファミリーをその性質から「7回膜貫通型Gタンパク質共役型受容体」と呼びます。
ヒトの苦味受容体であるhT2Rs(hTAS2Rs)は、hT2R1、hT2R3、hT2R4、hT2R5、hT2R7、hT2R8、hT2R9、hT2R10、hT2R13、hT2R14、hT2R16、hT2R38、hT2R39、hT2R40、hT2R41、hT2R42、hT2R43、hT2R44、hT2R45、hT2R46 、hT2R46、hT2R48、hT2R49、hT2R50、hT2R60 の25種類です。
そのうち、イソα酸の苦味はT2R1、T2R14、T2R40の3つの受容体が反応することによって認識されることがわかっています。
(参考)
Daniel Intelmann, Claudia Batram, Christina Kuhn, Gesa Haseleu, Wolfgang Meyerhof, Thomas Hofmann (2009) Three TAS2R bitter taste receptors mediate the psychophysical responses to bitter compounds of hops (Humulus lupulus L.) and beer, Chemosensory Perception
苦味の感じ方は人それぞれで、苦味受容体の遺伝子が変異することによって特定の苦味を感じにくい人もいます。有名なのがフェニルチオカルバミド(PTC)でブロッコリーやキャベツなどのアブラナ科の植物に含まれる苦味物資です。T2R38によって苦味が知覚されるのですが、苦味を感じない人もいます。苦味を感じない人の割合は人種によっても異なりますが、4人に一人程度は苦く感じないそうです。
最初は単に苦いと感じるだけのα酸も受容体を鍛えることで、苦味の質の違いなども感じられるようになります。
シス型-トランス型
イソα酸の五員環の4番目(C4)に繋がっている水酸基(OH)と、5番目(C5)に繋がっているプレニル基が同じ方向についているものをシス(cis)型、異なる側についているものをトランス(trans)型と表現します。
単にイソα酸と言う場合は、シスイソα酸(cis-iso alpha acids)とトランスイソα酸(trans-iso alpha acids)の両方を指します。
R部分の構造の違いによりイソコフムロン(isocohumulone)、イソフムロン(isohumulone)、イソアドフムロン(isoadhumulone)、イソポストフムロン(isoposthumulone)、イソプレフムロン(isoprehumulone)があります。
シス型とトランス型を区別するとイソα酸には10種類の同族体が存在することになります。
シス型のほうがトランス型より安定しています。
ビールを保存する期間が長くなるにつれシス型の割合が多くなります。
King & Duineveld の研究によると、トランス型のイソα酸はビールを40℃で保管すると急速に減少し、25℃だとわずかに減少し、0℃だと変化しないそうです。一方、シス型は0℃や25℃では変化せず、40℃だとわずかに減少するそうです。
Bonnie M King, C.A.A Duineveld (1999) Changes in bitterness as beer ages naturally, Food Quality and Preference
ビールの保存温度によりクオリティが変化していくことの一因は、苦味の元となるイソα酸の割合が変わっていくことにあります。他にも変化する要因がありますが、ホップの苦味を効かしたIPAなどは出来るだけ早めに楽しむことをオススメします。
フムリン酸(humulinic acids)
イソα酸が光のエネルギーによって分解したものがフムリン酸です。
フムリン酸自体は苦くありませんが、分解した片割れは日光臭を引き起こす原因物質となります。
日光臭
太陽光だけでなく蛍光灯の光にも含まれる350〜500nmの光エネルギーを受けて、ビール中のビタミンB2と反応することでイソα酸は分解されます。
ビールに含まれる含硫アミノ酸のシステイン(C3H7NO2S)などから発生する硫化水素(HS)ラジカルと反応し、MBT(3-methyle-2-butene-1-thiol)が生成されます。
日光臭は、スカンク臭(skunky)や焦げたゴム臭(burnt rubber)と言われるような不快な硫黄臭がします。
ビールのボトルが茶色なのは、350〜500nmの光を通しにくい色だからです。
とはいえ、完全に遮光できるわけではないので、遮光した冷蔵庫に入れたり、ボトル自体を包んで光があたらないようにして保管することが望ましいです。
還元型イソα酸(reduced iso alpha acids)
日光臭の発生を防ぐため、水素化ホウ素ナトリウム(NaBH4)や水素(H2)でイソα酸を還元することで、光による分解を起きにくくした還元型イソα酸(reduced iso alpha acids)というものがあります。
還元型イソα酸には、ジヒドロイソα酸(dihydro iso alpha acids)またはローイソα酸(rho iso alpha acids)、テトラヒドロイソα酸(tetrahydro iso alpha acids)、ヘキサヒドロイソα酸(hexahydro iso alpha acids)があります。
これらの還元型イソα酸は苦味もイソα酸と同等で、ビールの泡持ちを良くする効果もあるため、透明な瓶に入った海外のビールなどで使われたりしています。
還元型イソα酸 | ジヒドロ | テトラヒドロ | ヘキサヒドロ |
苦味(α酸比) | 0.7-0.8 | 1.1 | 1.0-1.7 |
溶けやすさ | ○ | △ | × |
貯蔵安定性 | ○ | ◎ | ◎ |
耐光性 | ◎ | ○ | ○ |
トリシクロフモール(tricyclohumols)
トランス型のイソα酸が酸化すると、トリシクロフモール(tricyclohumols)になります。
R部分の構造の違いにより、トリシクロコフモール(tricyclocohumol)、トリシクロフモール(tricyclohumol)、トリシクロアドフモール(tricycloadhumol)と呼びます。
トリシクロフモールは、後に残る不快な苦味になります。
その他のイソα酸
ビールを保存する期間が長くなるとイソα酸が様々な物質に変化します。
トリシクロフメン(tricyclohumene)、イソトリシクロフメン(isotricyclohumene)、テトラシクロフモール(tetracyclohumol)、エピテトラシクロフモール(epitetracyclohumol)、シスアロイソフムロン(cis-alloisohumulone)、トランスアロイソフムロン(trans-alloisohumulone)、ヒドロペルオキシシスアロイソフムロン(hydroperoxy-cis-alloisohumulone)、ヒドロペルオキシトランスアロイソフムロン(hydroperoxy-trans-alloisohumulone)、ヒドロキシシスアロイソフムロン(hydroxy-cis-alloisohumulone)、ヒドロキシトランスアロイソフムロン(hydroxy-trans-alloisohumulone)などが見つかっています。
(参考)
Christina Schmidt, Martin Biendl, Annika Lagemann, Georg Stettner, Christian Vogt, Andreas Dunkel, and Thomas Hofmann (2014) Influence of Different Hop Products on the cis/trans Ratio of Iso-α-Acids in Beer and Changes in Key Aroma and Bitter TasteMolecules During Beer Aging, ASBC
β酸(beta acids)
β酸(beta acids)は安定した物質です。α酸と違って、煮沸しても異性化することはありません。
R部分の構造の違いによりコルプロン(Colupulone)、ルプロン(lupulone)、アドルプロン(Adlupulone)と呼びます。
コルプロン | C25H36O4 | R=CH(CH3)2 |
ルプロン | C26H38O4 | R=CH2CH(CH3)2 |
アドルプロン | C26H38O4 | R=CH(CH3)CH2CH3 |
ポストルプロン | C24H34O4 | R=CH2CH3 |
プレルプロン | C27H40O4 | R=(CH2)2CH(CH3)2 |
α酸とβ酸の酸化
ホップの収穫後、時間が経つにつれてα酸やβ酸は酸化していきます。
これらのホップを使用すると、好ましくないα酸やβ酸の酸化物質がより多くビールに含まれるようになります。
フムリノン(humulinone)
α酸の過酸化物がフムリノン(humulinone)です。γ酸とも言われます。
フムリノンは強酸(pKa 2.8)で、α酸やイソα酸より水に溶けやすい性質があります。フムリノンの苦味はイソα酸の0.4倍程度と言われています。
UV光を吸収する性質があるため、ドライホップを行ったビールのIBUを計測する場合、過大評価してしまう可能性があります。
フルポン(hulupones)
β酸が酸化して生成されるのがフルポン(huluones)です。δ酸とも言われます。
α酸が酸化することによっても生成されます。
フルポンも強酸(pKa 2.6)で、水に溶けやすい性質があり、苦味のもとになります。フルポンの苦味もイソα酸の0.4倍程度と言われています。
フルピン酸(hulupinic acid)
フルポンが酸化することでフルピン酸(hulupinic acid)に変わります。
この時に、分離した構造式のRの部分は、チーズ臭の原因物質になります。
イソバレリン酸(isovaleric acid)
イソバレリン酸(isovaleric acid)はイソ吉草酸とも言われます。
カルボン酸(R−COOH)の一種で、変質したチーズ臭(cheesy)や蒸れた靴下の臭い(sweaty socks)と表現される悪臭になります。
フムロンのR部分は、(CH3)2CHCH2COOH で示されるイソバレリン酸になります。
同様に、コフムロンのR部分は、(CH3)2CHCOOH で示されるイソ酪酸(isobutyric acid)になります。
アドフムロンのR部分は、CH3CH2CH(CH3)COOH で示される2メチル酪酸(2-metyl butyric acid)になります。
イソバレリン酸やイソ酪酸は水に溶けにくい性質なのですが、エタノールにはよく溶ける性質があります。
そのため、ホップを多く使用したビールの代表的なオフフレーバーになるのも頷けます。
(参考)
Isabel Caballero, Carlos A. Blanco and Mar ıa Porras (2012) Iso-a-acids, bitterness and loss of beer quality during storage, Food Science and Technology
Christina Schmidt, Martin Biendl, Annika Lagemann and Georg Stettner, Christian Vogt, Andreas Dunkel, and Thomas Hofmann (2014) Influence of Different Hop Products on the cis/trans Ratio of Iso- α-Acids in Beer and Changes in Key Aroma and Bitter Taste Molecules During Beer Ageing