ビール純粋令

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いまから499年前、1516年4月23日にReinheitsgebot(ビール純粋令)がバイエルン公国のヴィルヘルム四世(Friedrich Wilhelm IV)によって制定されました。

「ビールは、麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とする」という一文が今でも有名な法律です。

せっかくの機会なので、詳しくみていきましょう。

バイエルン公国(Herzogtum Bayern)は、現在のドイツ南東部のバイエルン州からオーストリアにかけての地域に17世紀前半まで存在していた国です。地域にはミュンヘン、ニュルンベルク、アウクスブルク、レーゲンスブルク、ランツフートといった街があります。

ビール純粋令は、ある日突然制定されたというわけではありません。

ドイツ北部にはハンザ同盟があり、ビールギルドによる品質高いビールが造られていましたが、南部ではブルワリーが稼ぐために不正を働いていたため品質の悪いビールが流通していました。当時造られていたビールは、麦芽やホップだけでなく様々な穀物や植物を使って造られていたため、安全性が疑われるような素材も多く含まれていました。

そこで、バイエルン公国の各都市では使用可能な素材を制限したり、品質の悪いビールに罰金を科すようになりました。
1447年にはミュンヘンで、ビールの価格を統一し、原料は大麦、ホップ、水だけを使い、他のものを混ぜてはいけないという条例ができました。その後、周辺地域に拡がっていき、1493年にはランツフートにも拡大されます。

そして1516年4月23日、ランツフートの議会にてバイエルン公国全体にビール純粋令(Reinheitsgebot)が宣言されました。


ミカエル(9月29日)からゲオルク(4月23日)までの期間は1マース(Maß; 1.069Lに相当)または、1Kopf(椀状の容器)の価格は1ペニヒ ミュンヘン価格を超えてはならない。ゲオルクからミカエルまでの期間は、同量を2ペニヒ以上で販売してないけない。1Kopfは3ヘラー(Heller)以下であり、1ヘラーは1/2ペニヒ。

メルツェンビール以外のビールについては、1マースあたり1ペニヒ以上高く売ってはならない。

さらに、我々は将来的に市場のすべての都市および国で、ビール醸造に使用される原料は大麦、ホップ、水のみとすることを強調する。

故意にこの法令を無視した場合、裁判所の権利としてビール樽を没収する。
ただし、宿屋が国や都市や市場から買った後に再販する場合は1マースまたは1Kopfあたり1ヘラーのチャージをとって良い。
さらに、大麦の収穫時期や地域などが異なることにより希少性が出たり価格が上がった場合、バイエルン公国は全ての関係者の利益のためにビール醸造の減産を命令する権利を有する。

Wir verordnen, setzen und wollen mit dem Rat unserer Landschaft, dass forthin überall im Fürstentum Bayern sowohl auf dem Lande wie auch in unseren Städten und Märkten, die keine besondere Ordnung dafür haben, von Michaeli (29. September) bis Georgi (23. April) eine Maß (bayerische, entspricht 1,069 Liter) oder ein Kopf (halbkugelförmiges Geschirr für Flüssigkeiten – nicht ganz eine Maß) Bier für nicht mehr als einen Pfennig Münchener Währung und von Georgi bis Michaeli die Maß für nicht mehr als zwei Pfennig derselben Währung, der Kopf für nicht mehr als drei Heller (gewöhnlich ein halber Pfennig) bei Androhung unten angeführter Strafe gegeben und ausgeschenkt werden soll.
Wo aber einer nicht Märzen sondern anderes Bier brauen oder sonstwie haben würde, soll er es keineswegs höher als um einen Pfennig die Maß ausschenken und verkaufen. Ganz besonders wollen wir, dass forthin allenthalben in unseren Städten, Märkten und auf dem Lande zu keinem Bier mehr Stücke als allein Gersten, Hopfen und Wasser verwendet und gebraucht werden sollen.
Wer diese unsere Anordnung wissentlich übertritt und nicht einhält, dem soll von seiner Gerichtsobrigkeit zur Strafe dieses Fass Bier, so oft es vorkommt, unnachsichtig weggenommen werden.
Wo jedoch ein Gastwirt von einem Bierbräu in unseren Städten, Märkten oder auf dem Lande einen, zwei oder drei Eimer (enthält etwa 60 Liter) Bier kauft und wieder ausschenkt an das gemeine Bauernvolk, soll ihm allein und sonst niemand erlaubt und unverboten sein, die Maß oder den Kopf Bier um einen Heller teurer als oben vorgeschrieben ist, zu geben und auszuschenken.
Auch soll uns als Landesfürsten vorbehalten sein, für den Fall, dass aus Mangel und Verteuerung des Getreides starke Beschwernis entstünde, nachdem die Jahrgänge auch die Gegend und die Reifezeiten in unserem Land verschieden sind, zum allgemeinen Nutzen Einschränkungen zu verordnen, wie solches am Schluss über den Fürkauf ausführlich ausgedrückt und gesetzt ist.


その後、1551年にはミュンヘンの醸造令には原材料として酵母が加わり、また、副原料として月桂樹やコリアンダーの使用も認められるようになりました。

純粋令から100年後の1618年には30年戦争が始まり、食糧難の時代となります。
それまでバイエルンで主流だったワイン醸造のためのブドウ畑も多大な被害を受け、30年戦争が終わった後はビール醸造にシフトすることになります。

30年戦争後は数多くの領邦(Territorialstaat)が成立し、他領からの輸入を禁止したり高い関税をかけることで、ローカルなビールに依存することになりました。
また、大航海時代の恩恵で食料としてジャガイモが普及したことや、コーヒーや紅茶などの新しい飲料が出てきたことによりビール需要は現象することになりました。

時は流れ1871年にドイツ帝国が設立されました。その後、バイエルンの周辺にビール純粋令が広まり、1906年にはドイツ全土にビール純粋令が採用されることとなりました。
しかし、ドイツ北部のブルワリーは反対し、エールビールには適用されませんでした。

しかし1842年にチェコで生まれたピルスナーの人気に押され、エールビールはドイツから姿を消していきました。(その後、アルトとして復活しますが)

第二次世界大戦後もビール純粋令は継承されていましたが、欧州共同体の発足にともない非関税障壁として問題となり、ドイツ国内で醸造し国内向けに流通するものだけに適用されるようになりました。

1993年、ドイツ政府により酒税法の一部として改めて法制化された内容はより厳しいものとなっています。

ラガービールでは、大麦麦芽、ホップ、酵母、水だけで醸造しなければならない(麦芽化していない大麦は不可)。
エールビールでは、ラガービールの原料のほか、他のモルトおよび砂糖や着色剤を用いて良い。

時代とともに定義内容が変わってもドイツ国内では今でもビール純粋令に従って「大麦、ホップ、酵母、水」だけで醸造を続けているブルワリーが数多くあります。

ビール純粋令は全体のレベルや品質向上・維持に貢献して地域に根ざしたスタイルのビールを守り続けるメリットがあります。
その一方で、新しいビアスタイルが出現しずらい保守的な文化を形成するというデメリットもあります。

近年、ドイツでもアメリカのクラフトビール文化の影響を受けて、新しいビアスタイルを造る醸造所が増えてきています。これからどう変わっていくのか楽しみですね。

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